どのように生き、どのように死ぬるのか...
生き様、死に様は人それぞれであるものの、幸福で有ったか、無かったかは主観と客観で大きく異なると思う。
『終わり良ければすべて良し』
言い得て妙とはこれ如何に...ではあるが、この通りと思うし、終りが良くなければ幸福だったとは言えないかも知れない。
今の自分を省みれば、「独り身の気楽さ」「持病はあるが、そこそこ元気」「何とか食べていけるだけの稼ぎがある」「好きなことが出来る自由がある」「ハラスメントに有ってない」「友達がいる」「社会的に隔絶されていない」...
人生の終りに近くなっても、まぁ、ちょっとはましな幸福を得ている気がします。
--閑話休題--
弟が孤独死した。発見された時には死後2ヶ月が経過していたらしい。
弟と会ったのは2年半前ぐらい前が最後。弟は神奈川県で暮らしていたのだが、コロナ禍の影響で仕事を無くし途方に暮れて水戸に相談にやってきた。
状況をいろいろと確認し、まずは行政に頼ってみてはどうかと「生活保護の申請」を勧めた。(国民が有する権利だし、自分も受けていた経験があった)
程なくして、神奈川県の行政から弟から生活保護の申請があった旨を知らされて、人生を再構築する目処が立ったのだろうとほっと胸をなで下ろした。
その後、結局は疎遠になってしまうのだけど、それは弟が取捨選択したことであるので致し方ない。
(今回の件で、水戸市役所に戸籍などの確認に行って来たのだが、なんと結婚していて元々の戸籍からは除籍されており、戸籍から状況を知ることが不可だった。当然結婚した事は知らされていない。嫁や子の存在も不明。後に離婚したかどうかの経緯も不明)
生活保護受給者が亡くなった場合(多くが老齢の孤独死)、行政にその後の対応をお願いするのが順当らしいので、対応をお願いした。
今回の出来事は、自分の分岐する未来のひとつの可能性だし、そこそこのショックも受けているので、考えさせられることも多く、落ち着くまで多少の時間が必要だろうと思うが、思い出は尽きないもので、いろいろ思い出してはちょっと胸が締め付けられる。
それでも、自分は明るく楽しく生きていければと思う。
COMMENT