その数日後、会社に「復帰させてください」と連絡を入れたところ、社長から「待ってたよ。これから大変だけど何とかがんばってよ。」と許されて復帰することができた。
実は、そういったこの頃の1年間はライブ活動のホーム「なんでモール」にも丸1年行ったことが無かった。久々に訪ねた時、なんでモールのnaナスターは「COACHが帰ってきた!」とすごく喜んで貰えて嬉しかった。
(その間に、音友さんから連絡貰った記憶が残ってないので、自分の人徳はそんなもんだろ)
そうこうしているうちにも浜松での生活にも限界が来ていた。離婚したことで金銭面にも苦しく、消費者ローンに手を出したりしたから(元嫁と娘との二重生活の面倒を見たため)、実際のところ自己破産にまで追い詰められ、清算して地元に帰ることにした。
その時、母に相談したところ「仕事なんてたくさんあるよ」の嘘を信じた自分がバカだった。
(浜松に残っていた方が宛てがあった)
水戸へ帰ってきて数年、ハローワークに通い詰め何百通の履歴書を送ったが、面接にたどり着くのも数件がやっと・・・
やっとの事で「一緒にやってみないか?」と誘われた会社は、数年後には『給与未払い』をするようなところ。
働いていた頃は、作業効率を思って、自車を使って(社用車が足りないため)現場まで向かい作業し、自車が汚れたり痛んだりするのに目をつぶって、交通経費(ガソリン代を走行距離で計算)を計上したのみ関わらず、未だに未払い給与を払い込んでくれない。
人生の後半で、こんな目に遭うって事はそういった業を抱えた人生なんだろうと思う。
幸せな人生を求めるなんて事はおこがましいことらしいので、よりよい結末を探そうと思う。
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